「大人」の言い訳に逃げない

前回、ブログを更新してから1か月が経っていた。

はてなブログに登録してある、gmailアドレスに、「そろそろ更新しませんか?」というメールが届いていた。

 

12月も後半に差し掛かり、いよいよ2018年が終わりに向かっているのをひしひしと感じる。

外を歩いたときの刺すような空気の冷たさも、駅前で輝くイルミネーションも、「クリスマスケーキ予約承り中」という案内も、スーパーに並ぶ切り餅も、迫りくる卒論の締切も、「もう2018年は終わるぞ」という事実を否応なしに突き付けてくる。

 

そうやって日常のいたるところで、2018年、という1年間に目を向けさせられるので、次第にFBに今年の振り返りでも書こうかな、という気になってくる。

ただ今年は充実していたなと思うからこそ、長文が許される風土のあるFBでさえ異色なほどの長文を、冗長な言葉で、わかりにくく、まわりくどく、でも一つ一つ丁寧に描いてしまおうとするだろうから、せめてブログに書こうかな~と思う今日この頃である。

 

 

長々と年末の心境について語ってしまったが、今日書こうと思ったのは「『大人』の言い訳に逃げない」ということ。

 

前にもブログで少し書いたが、私は中高生向けの施設でインターンをしている。

そこである日、高校生2人が「自分が好きなものは本当に『自分が』好きなのか」という話をしていた。

 

その高校生をAくんとしよう。

Aくんは陸上が好きで、将来は小学校の体育教師になることを目指している。

ただ、最初に陸上を始めたきっかけは「親から勧められたから」であって、決して自発的なものではなかった。

もちろん、続けていくうちにどんどん楽しさに気づくようになり、今では「陸上が好き」と思うようになったという。

 

ただ、Aくんにとって「それは本当に『自分の』好きなことといえるのか」という少しの疑念があるらしい。

 

「親から勧められて」始めたことは、本当に自分が好きなことといえるのだろうか?

 

それについて、同じ施設に来ている女の子と真剣に話し合っていた日があった。

 

 

 

これを聞いたとき、私は反射的に「悔しい!!!」と思ってしまった。

こういった深いけどなかなか日常会話の中では恥ずかしい話、「エモい」話を大学生や大人はどこでしているかと考えたら、それはたぶんお酒の席である。

 

高校生は「お酒を飲んでいたから」という逃げ道がなくとも、正面から自分自身や思考に向き合っているというのに、大人は「お酒」という言い訳を用意しないとそんな話もできないのか!!

悔しい!!!

 

もちろん、お酒の席だからこそ、普段なかなか話せない本音を話しやすくなることもあるだろうし、青臭い話をしたとしても「お酒の席だったんで」と言い訳じみたことを言わない人だっているだろう。

 

でも、次第に「ごはんに行く=飲みに行く」という等式が当たり前になっていくのと同時に、「そういった話はお酒を飲みながら話すものだ」と知らず知らずのうちに思いこんでいるのはたしかではないだろうか。少なくとも自分はそうであった。

 

そうやって、自ら「こういうものだ」「こうしなければならない」という「常識」「規範」をつくっていたことに愕然とした。

自分だって、お酒を飲めるようになる前は、こういった話に正面から向き合っていたんじゃないだろうか。

なにか言い訳や逃げ道を用意しないと深い話、青臭い話、ちょっと照れくさい話、自らの思考について話せなくなってしまったんじゃないのか。

 

もちろん、大人になることで今までできなかったことができたり、新しい世界や常識の存在する世界を見ることができるというよい面もある。

 

ただ、大人になったからといって、それを言い訳にすることなく、生きていきたいなと思った。