朝活をした①(映画「七つの会議」編)

久しぶりの投稿であるが、やっと院試が終わり、無事合格することができた。

大学院に進学すると決め、2月に1回だけある試験のために勉強をしてきたのだが、無事に進学が決まりひと安心である。

院試に向けた勉強法や当日の様子については、また後日詳細にまとめてブログにアップしたいと考えている。

 

院試とはまったく関係ない話ではあるが、この前の木曜日(14日)に友達と朝活、ということで映画を観てきた。

今回観たのは、池井戸潤原作の「七つの会議」という作品である。

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今回は一緒に行った友達がレビューを参考に選んでくれたので、私はあらすじも知らない状態で映画館に向かった。

 

あまりドラマも見ないので池井戸作品というと銀行と中小企業ががんばる話、というイメージしかなく、正直そこまで期待していなかったのが本音である。

実際映画が始まる前の予告を見ながら、「シティーハンター観たいなあ」と別のことを考えていたりした。

 

しかし、見終わったあとは「この映画を観ることができて本当によかった」と思い、劇場が明るくなってもなかなかその余韻から抜け出せずにいた。

もちろん話もおもしろく、かつわかりやすくまとめられていたので、映画の中に引き込まれたが、それだけではなくて、出演する俳優さんたちの演技であったり、セリフ回し、音楽など、映像作品だからこその要素にもとても惹きつけられた。

 

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※このあとはネタバレを含みます。ネタバレNGな方はご注意ください。

 

 

 

 

 

まず、映画は都内の中堅メーカー東京建電の営業会議の場面から始まる。

原島及川光博)が課長を務める営業二課はなかなか営業成績が振るわず、北川部長(香川照之)に厳しく叱責される。一方、坂戸が課長を務める花形部署の営業一課は順調にノルマを達成し、恐れられている北川部長からも認められているようだった。

だが、そんな花形部署に不相応なぐうたらな係長八角野村萬斎)は会議中に居眠りをする始末。しかし、ある日営業のエースである坂戸が八角パワハラで訴えられ、不自然な異動処分となる。そしてその後も八角に関わった人物は不自然な異動処分を下されてしまう。

営業ノルマ、社内の部署間での確執、親会社であるゼノックスとの関係…それらがだんだんと明らかになり、それらすべてをつなぐ秘密が最後に明かされる。

 

あらすじはこんな感じである。

その中で印象的だった点をいくつかあげようと思う。

 

①音楽

個人的には音楽が作品や登場人物とマッチしていて好きだった。

(おそらく)オーボエの怪しげなメロディは八角の飄々としていてどこか掴めない雰囲気や、何か重大な秘密を抱えているのではないかという疑いを表現しているようで印象的だった。

また、作品の中ではいくつか会議が出てくるが、親会社の社長を交えての「御前会議」での有無を言わさぬ威圧感、荘厳さ、絶対的権力、張り詰める空気、緊張も音楽を通して伝わってきたように感じた。

 

②北川部長の変化

北川は厳しい営業ノルマを課し、威圧的な態度で部下たちを叱責する社内の絶対的な権力者として描かれている。会社という組織では結果がすべて、この組織の中でどんな手を使ってでも出世をし、権力を掴むことが自らの存在意義と考えているような人物である。

ドラマ半沢直樹は視聴していなかったためあまり詳しくはないが、その際には同じく香川輝幸が大和田常務を演じていたこともあり、大和田常務を彷彿とさせるようなキャラクターだと思った。

 

そんな北川は実は八角と同期だったわけであるが、すべての不正がゼノックスの社長により闇に葬られ失望する八角と北川が作品前半~中盤の「部長と係長」という上下関係ではなく、「同期」として自らの会社人生を振り返るシーンは二人の悔しさ、失望、怒りが伝わってきてこちらも泣きそうになってしまった。

(正直一度しか映画を観ていないので、もしかしたら場面の描写や事実関係が微妙に異なっているかもしれないがその点はご容赦いただきたい。)

 

北川は会社のため、出世のため、結果のため、と不正を犯し、部下を必要以上に苦しめ、全てを会社に捧げてきたにもかかわらず、結局は不正隠蔽のために異動させられてしまう。そのときに、「自分は会社人生でいったい何が残せたというのだろうか。会社という一つの組織にしかすぎないものを絶対視し、つまらない見栄やプライドのために身を粉にしてやってきたことは何も価値がなかったのだ」と悟り、己の20~30年を無駄にした悔しさ、会社や自分自身への怒りに拳を震わせ、涙を見せる。

八角と北川の背中が、これまでの飄々さや威圧なしに、同期の二人として等身大にならんでいる姿は「組織」という洗脳から開放されたことを示しているようであった。

 

また、不正隠蔽をマスコミにリークした後には、北川は実家の食用バラの栽培を継ぐこととなる。エンドロールでむしゃむしゃとバラを食べる姿には、NHKの「昆虫すごいぜ」のカマキリ先生を思い出し、思わず笑ってしまった。

ただ、それは単純な滑稽さだけではなく、会社という組織に属さないことは死に値する、といわんばかりであった人物も、新たな生き方を歩んでいくことができるのか、という一種の救いによる安堵でもあったのではないかと思う。

 

国交省の調査委員会での八角のセリフ

最後のエンドロールでは、調査委員会で「こういったデータ改竄をなくすためにはどうしたらいいと思いますか?個人的にお聞きしたいです。」と八角は尋ねられる。

それに対して、何度か「それ、本気でおっしゃっています?」と八角は返すが、やがて自らの思いを淡々と語る。

 

このシーンがめちゃめちゃにかっこよかった。このかっこよさを描写する力が足りないことが歯がゆく感じる。

八角は誰よりも不正に対して真摯に向き合い、事故により人命が犠牲となることがないよう、会社への失望や無力感にも決して屈することなく、諦めず、常に前に進み続けた人物である。その八角自身が「不正は絶対になくなりません。」と言い切る。

 

日本はもともと藩社会だからこそ、組織に属していようとする。だからこそ、連帯感や結束感といったよい面もあれば、組織を絶対視し、権力に従属し、不正や隠蔽を繰り返してしまうという負の側面もある。

だから、不正は絶対になくならない。ただ、不正をできるだけなくすようにはできるのではないか。そのためには、餓鬼みたいなこと言うようですが、不正を暴こうとする人々が、あきらめずに、その歩みを止めずに、ただ目の前の問題を解決するために、最善を尽くそうと思い続けることが必要なんじゃないですかね。

 

というようなことを、淡々と、飄々と語る。(うろ覚えなのでもしかしたら間違えているかも)

あれほどの無力感と失望を乗り越え、常に問題に向き合い続けた八角自身が、感情論を排した冷静な分析を交えて淡々と語る様子は本当に釘付けになった。

 

ほかの人たちが諦めていくなかで、自分だけが粘り強く突き通した信念を、私だったら「絶対的な正義」として他人に話したくなると思う。

「自分は不正に対して真摯に向き合い続けた、不正は絶対悪、この世からなくさなければならない!」ということを自信たっぷりに話してしまいそうである。

 

にもかかわらず、「不正は絶対になくならないにもかかわらず、それをなくそうとこだわり続けるなんて馬鹿みたいだ」と自分自身を冷笑するかのように言ってのけ、しかし「たとえ馬鹿で愚かだとしても問題に対して取り組み続ける。たとえそれで社会が変えられないとしても、それが私の信念だ」と言わんばかりの語りが本当にかっこよかった。こういうふうに生きたい。

 

自分自身が価値がある、正義だと考えているものに対して一直線に向かっていくのよりも、世間が馬鹿だ愚かだと冷笑していることを自覚したうえで、己の信念を突き通す方が難しいのではないかと思う。

でも、だからこそかっこいいなと思った。かっこいいしか言えない己の語彙力のなさを恨む。

 

ネタバレを読んでいる人はもう映画を観た人か、原作を知っている人か、観る予定はない人かのどれかだとは思うが、ぜひ映画館で映画を観てみてほしい。

あと八角の元妻の叔子もいい人過ぎて感動した。

 

ちなみに朝活をした②(預言カフェ編)も後日書く予定である。