ひらがなけやきとパラレルな私たち
今日、インターン先の上長と「エッセイが書きたい」という話で盛り上がった。
そう、私はエッセイが書きたい。そしてあわよくば書店で売り出されてアマゾンのレビューでコメントが2件くらいついてほしい。(ポジティブなやつで)
というわけで書く練習として、今日はこの前友達の家でひらがなけやきのライブDVDを見せられたときのことを書こうと思う。
ちなみに前回は敬体で書いたが今日は常体で書こうと思う。まだまだ文体の過渡期ということで許してほしい。
「ひらがなけやき」とは「欅坂46」を構成する欅坂46とけやき坂46という2つのユニットのうちの後者のことを指す。そもそも私は欅坂46については「カラオケで場を盛り下げないようにするための曲としてとりあえずサイレントマジョリティを覚えた」程度の思い入れしかないので、ひらがなけやきというものの存在は知ってはいたものの、詳細については皆無であった。
そのため、ライブの映像もアイドルオタクの友だちが熱心に解説するのを半分聞き流しながら、「見分けがつかない…」という気持ちで見ていた。(友達には申し訳なかった)
しかし、見ているうちに、次第にひらがなけやきの中に自身の中高時代の思い出が重なりながら去来していることに気づく。
ちなみに、ひらがなけやきのメンバーは15歳~22歳と大体高校生~大学生にあたる年齢である。そして、これは決して「アイドルの中に等身大の人間像を見た」のではなくて「自身のなかに(半ば否定的であった)アイドルとの共通項を見出した」と言いたい。
ライブの3日目(最終日)の最後の曲が終わった後、メンバー(おそらくリーダー)が自分の思いと、感謝を、ファンに伝えていく。そのメッセージを伝え終えると、急にステージが暗転し、後ろのスクリーンに「重大発表」の文字が表れる。
盛り上がる観客。当のメンバーたちは、ステージ上で歌唱してきたときとは違う、戸惑いと驚きと不安のこもった声をあげながら、隣同士顔を見合わせている。
そして、「デビューアルバム決定!」の文字。
多くのメンバーが「きゃー!」と空気を切り裂くような歓声をあげ、ぼろぼろと涙を流しながら、涙声でお互い抱き合いながら、そして安心感とこれからの重責をしっかりとかみしめながら、声を掛け合っている。
その光景は、私が中学三年生の夏に、吹奏楽コンクールで金賞を受賞した時の光景と、まったく同じであった。
吹奏楽コンクールでは演奏順に結果が発表されていく。
金賞の数には限りがあり、ひとつ、またひとつと減っていく金賞を眺めながら、自分たちの順番が来るまで、まるで死刑執行を待つ囚人のような気持ちで、結果発表を待つ。
「~~番、○○中学校…。『ゴールド、金賞』」
司会の口から、ゴールドの「ゴ」の字が出た瞬間に、(余談だが金賞と銀賞を区別するために金賞の際は「ゴールド金賞」と読み上げられる)「きゃー!」と、もう金切声なんじゃないかと言わんばかりの声をあげ、ある生徒は泣き崩れ、ある生徒はほっとしたかのように胸をなでおろし、常連校の生徒なんかは県大会への切符の重さをかみしめながら、その場に立っている。
まさに、それを思い出したのだ。
これはもしかしたら、アイドルであり、そして同時に普通の女の子である彼女たちの、「普通の女の子らしい一面」が如実に現れただけなのかもしれない。
ただ、私は、この武道館という大きなステージで見られた光景が、全国大会で、地方大会で、部活で、文化祭で、体育祭で、学校行事で、もしかしたらそれ以外の課外活動で、日常で、家庭の中で、受験で、アイドルでもなんでもないただの中学生・高校生の、そして大人の、青春という思い出の中に潜んでいるのではないかと思った。
たしかに、武道館のステージに立ち、何万人もの人に支持される彼女たちはすごい。
ただ、その規模の大小にかかわらず、それと相似的な場面と感情を経験していく、経験している、そして経験してきた人たちはきっとこの世の中にたくさんいるのではないか。
そう思うと、ひらがなけやきのことが、少しだけ近くに感じられるようだった。